28歳品出しアルバイトの奮闘記

スーパーの売り場から見える世界

外のことはもちろん、そもそも内側のことも分からない。僕らは絶望的なまでに何も分かっていない。でもそれが人生の醍醐味であると思う

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今週のお題「外のことがわからない」

今日は久しぶりにガッツリ身体を使ったので、全身に疲労感が満載です。みなさんはどんな土曜日を過ごされたでしょうか。

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さて、今週のはてなブログのお題は「外のことがわからない!」だそうだ。ぼくはこのお題を見て、確かに外のことが分からないのかもしれない。では、内側のことなら分かるのだろうか。そもそもコロナでリモートにならなければ、外のことも分かっていたのだろうか。と思った。答えはおそらく否。

そもそも何もかも分からない

外のことが分からないかもしれないが、分からないのは外のことだけじゃない。内側のことも、自分の目に見える範囲のことも、そして自分自身のことも、「分かる」と言えるものなんてどれほどあるだろうか。

例えばふと、「ブログとは何か?」「書くとはどのような行為を指すのか?」と聞かれて、どれほど自分の納得した答えを返せるだろうか。もっと身近なもので言えば、「米とは何か」「魚とは何か」「お箸とは何か」などと聞かれて、説明できるだろうか。

ぼくには中々難しいし、多分大抵の人がそうなんじゃないだろうか。ぼくらは分かっているようで、何も分かっていない。

何も分からない。だからこそ人生は「分かる楽しさ」に満ちている

ちなみにここで言う「何も分かっていない」というのは、ネガティブな意味で使っているのではない。何も分からないからこそ、何かを分かる喜びがある。未来に余白があって、その余白には知的好奇心、知的興奮を満たす、人生の醍醐味と呼べるような宝物が詰まっている。しかも身の回りに無限のように存在するのだ、その余白というやつは。

 大好きな漫画「BLEACH」では、涅マユリがこんなセリフを残している。

"完璧"であれば

それ以上は無い

そこに"創造"の余地は無く

それは知恵も才能も

立ち入る隙が無いという事だ

解るかネ?

我々科学者にとって

"完璧"とは"絶望"だよ

上記のセリフの、"完璧"にあたるのが、この記事でいう「分かる」である。分からない" is 楽しい。分からないを楽しむ、楽しめる自分でい続けたい。今、世の中的に分からないことがたくさん増えているのかもしれない。けどそれは1年前も10年前も、100年前もずっと一緒だし、ぼくらはずっと分からない中で生きてきた。ソクラテスだって「無知の知」という考え方を残している。

分からないことだらけだからこそ、分かる喜びに向かうドアが無数に存在する。とんでもなく興奮に満ちたエキサイティングな今を生きている。

おわり

なんか、とてもしょうもない、中二病のようなコラムになってしまった。書いて残しておきたかったのは、「分からないを楽しもう、楽しめる自分でいよう」ということ。

2年前、本を書いた時に思った。自分は何も説明できないのだ、つまりは分かっていないのだ、と。

ぼくがブログを書くのは、「書く」という行為を通して、この「分かる喜び」が得られるからではないかと思う。分かったことを書く場合もあるが、おおよそ大抵は書くことで分かる、もしくは書くことで解像度が上がる。

これから先どういう人生になるか分からないし、どんな仕事をするかも分からない。テクノロジーの進化にともなって、「書く」という行為がどう変化していくのかも分からない。

けど、問いを立て、情報を集め考え、時には観察し、検証し、そして言語化し。また新たな問いを立てて思考・試行する。そういうプロセスにある喜びを忘れたく無い。そして、そのための興奮の種、「分からない」という感覚への嬉々とした好奇心や高揚感を忘れずにいたいと思うのだ。

それでは!!!

てか、BLEACHのセリフ引用したら、BLEACH読みたくなったよこのヤロウ!卍解!!!!